2011年04月06日

避難所の生活。その叫び――

震災から3週間以上が経過し、今回被災を免れた九州に住む自分にとって、
現地の生々しい状況を報じるメディアのニュース・記事を目にする機会が
だんだんと減りつつあります。
今一番の話題は福島原発。それ以外にはだんだんと物資が届くようになり
少しずつ笑顔が戻った子供達や復興に向けて動き出した被災者の力強さを
報じるニュースが増えてきました。
けれど、そういったことは本当にまだごく一部であり、多くの方々が
温かい、満足な食事を取ることができずに苦しい生活を強いられている。
そんな状況が見えなくなる怖さ。このブログを見てそんな思いを感じました。

全文引用させていただきます。これ以外にも書かれていますのでよかったら
見てください。

◆【2】 避難所の生活。その叫び―― 。/堀井朋子 OFFICIAL BLOG

日本は どうなってしまったのだろう・・・

被災地支援で来てから 2週間が経つ。

この島国の 半分側で、

たった 1日に1回の 冷たいパンや おにぎり1個

それしかない 配給に 何時間も並び続ける人々―― 。

親を亡くした 無数の子供たちは 【 避難所孤児 】 となり、

毎日 襲う悪夢と 寂しさで、 夜泣きが連鎖し 止まらない…。

あたたかな ご飯も。

ふかふかの 布団も。

首まで浸れる 湯船も。

そして

昨日まで ともに暮らした 家も。

最愛の人さえも。

みんな みんな 失くしてしまった人々が

せめてもの 「 ぬくもり 」 さえ

許されない 生活―― 。

自分の場所も無い。 自分のお金も無い。

固い床に横たわる 寒さと 飢えで 眠れぬ夜。

いま必要なのは、 「笑うこと」 だって?

……出来るもんか。

こんな 毎日で。

キミなら 出来るの?

父が、母が、妻が 夫が、自分の子供たちが。

たくさんの約束をした 恋人も。 生涯の 親友も。

どんな時も一緒だった 大切なペットまで…

一瞬にして この世から居なくなり、 もう逢えません。

なんとか 酷い姿で 家族は見つかったけれど

何週間 待っても 火葬さえ してもらえません。

油が無いのです。安置所も 順番待ちも いっぱいなのです。

もう、腐乱が進んでいるって、泣き叫ぶ お母さん・・・

「 朋ちゃん、アンタ なんで こんな所に来るのよ・・・!」

「 こんなところ、地獄でしょう! TVでは映らないものね 」

抱き合って ずっと 泣いたけれど、

「 でも 私は、 また来るからね・・・ 」

誰かが

「 ほうら こっちは 思いきり笑ってるよ。」

「 めちゃくちゃ楽しく唄ってるよ。気持ちいいよ。」

「 キミたちの為にだよ? 元気になっただろう?」 って

……なれるもんか。

いまは 心から笑おうなんて言われても すぐには出来ない…。

目の前で進む家族の腐敗を、狂う程の飢えと寒さを、

先ずは なんとかしてから 言ってくれ…。

この避難所で 共に何度 痛くなるほど 手を握り合っても。

それが 【 時期尚早 】 だという冷たい事実に 咽ぶだけ……

だけれど、 せめて 心を添わせる事が出来るとすれば、

それは 一緒に 。 毎日 「 忘れてないよ 」 と

ただ それだけを…… せめて 言葉にすることくらい。

たった1行でも。 ひとことでも。。

『 なんとかしたい。 忘れてないよ 』 と。

現在・・・ 24万人の 被災生活困難者―― 。

1日2食で 単純に計算しても、1日=48万食が必要。

それが せめて向こう1週間確保したいだけでも 336万食。

1ケ月なら 1440万食―― 。 仮に 1ダース入りの

ダンボール箱で計算したら、【1,200,000箱】でした…。

それに対して、当初の大口の物資や 大量の食糧は

だんだん全国から 集まらなくなってきて・・・勢いも失速。

まるで 流行りや トレンドが 引き潮の如く 消えるかのように

もう、今日 明日の 避難所の食糧が 底をついて無い状態。

イチかバチかで 24時間を 凌ぐだけの毎日なのです。。。

地域によっては 【1日=1個】さえ 行き届いていません。

「 いまは 笑おう 」 って、どういうことなの? まだ2週間で。

明るく戻ったテレビ。 明るく戻った みんなのブログ。

ノーテンキな コメンテーターたち・・・ それもいい。

「 だんだん避難所も 落ち着いてきたようだしね◎ 」

「 自分のブログも、通常に戻しま~す♪ 」 それも必要。

個々は自由。 だけどこの段階じゃ、問題はまだ山積み過ぎる。

事態は もっと悪化してる。 水も薬も調達されない。

避難所では 赤ちゃんや ご老人が いま死んでる。。。

『 日本じゅうが 毎日 叫んでくれなきゃ、

本当に この状況は 少しも変わらないんです

でも私たちには この危機を発信する手段さえ 無い…。 』

避難所担当者や、ボランティアの方々が、いつも現場で

泣きそうになりながら 口々に 繰り返す言葉がある―― 。

せっかく ネットがある時代で、それを自由に使えているという

この上ない環境なのに、結局は「自分自身のこと」しか書かない。

「記事で被災に触れると 贅沢生活している自分が浮き彫りになる」

いいじゃないか。それが生活なのだから。 経済も回せばいい。

ただ…何処かにでいい。たまに1行だけでも、被災地に想いがある事を、

この惨事と支援を 「風化」させない約束と 思いやる呼び掛けを

残してはおけないだろうか。 嘘でもいい。それで救われるのだと。

その連鎖と 持久力こそが欲しかったのに、早くも切り替わり過ぎだと。

毎日もがくように必死で生きなければいけない被災地の現場では、

【世間の無関心と支援の風化】(仮にそう見えたとしても) それこそが、

いちばんの 「精神的な脅威」にさえ 成り得てしまうのだ―― 。

“心では 思ってるから ” だけでは伝わらない。 命を、繋げない。

ネットを操れるなら 毎日叫んでも足りないくらいの 【S.O.S】 が

子供や 赤ん坊や ご老人の 生存率と 明日の運命を 決めている……

それなのに。

【ネイルサロン最高!焼肉満腹!幸せ♪でも疲れた~ おやすみ~♪】

その最後に。 被災地への意識が 1行でもあるのなら、「自分」以外の

少なくとも遠く寒い空での誰かが、あたたかな気持ちで眠れるだろうに…

避難所では そろそろ携帯も 使える地域が多くなった。 被災者たちが

初めてやっとお気に入りのブログに行き、日々ショックを受ける者も多い。

「 こんなときだから 」 と 笑いたいのは、

【大義名分】を 掲げて 楽しくラクな自分の暮らしを正当化したい

あなたたちのほうでしょう。

―― まるで そんな声が、視線が。

頭をガンガン 突き刺すようで 離れない…。

避難所の何処に居ても ふがいなくて 悔しい……。

連日、トラックで届けている食糧も、とうてい 足りていない。

テレビは「情報を選べる」から、視聴率の出やすい話題に

結局のところは 落ち着いてしまう事も 知っている。

心和む美談もいいだろう。 みんな大好きだ。。

でも 現実は ぜんぜん違う。

宮城も、福島も、岩手も、そして 茨城でも 他でも。

世間に 届いていない真実は 驚くほどあるのに……。

マスメディアや報道の仕事を していながら

同じ自分の仕事が こういう時は 嫌になる―― 。

だけど、自分で出来ることは、こうして 必死にでも

「 伝えること 」。 「 真実を認識すること 」。

勿論、震災直後からの支援活動に動いている この

時間とメンバーは、いつもの局の仕事のDJとしてでも

アナウンサーとしてでもなく、「堀井朋子」個人として、だ。

きょう記事に書いている 「キツイだろう内容」の事も。

反論だって覚悟もしてのこと。 キレイ事で埋めるのは簡単、

でも責任は持つから、 これだけは 聞いてもらいたい……

【 もう落ち着いた 】 なんて、 決して思わないで欲しい 。

本当に 物資が各所に循環するようになってからで

安心するのは 遅くない。

1日に 1食も おなかにさえ いれられないのに。

水でさえ 残量を測っては 飲めなくなって

せめて 寄り添いたい記憶を辿っても

もはや…

1日に 1度だって 愛する人の声が

聴けなくなってしまったというのに―― 。

お願いだから

わかって欲しい

全てを 失い、 流されるとは

こういうこと。

この苦悩が、これから 何十年も 続くということ。

だけれど こうして

人は 己と 闘って 生きていくということを。

表面では いくらだって 笑っているよ。

社会の中では どれだけだって 我慢は するよ。

島国の半分で。 被害が無かったのだから なおさら

日本としての 経済活動の復興も 大切でしょう―― 。

それならば。

せめて 1日 1回の ご飯のかわりに

少しでも この現状で 救いが増えることを

呼び掛けていて欲しいんだ。

叫んでいても いいだろう―― ?

少なくとも 。 まだ もう少し

この 崩れた側に 立っていたいんだ……

やっと 立ち直れる日なんて

まるで 永遠のように 遠いのかも知れないけれど、

『 錯覚 』 でも いいから、 消え入る 『 願い 』 でもいいから

やっと おなかも 心も いっぱいに 出来るような日が来たら

そしたら、 その時に はじめて おなかから・・・・


この場所で、 一緒に 笑ってみたいと 思う 。

この場所で 、一緒に 唄ってみたいと 願う 。

やっと 少しは、 強く 呼吸が出来るようになったね…って

やっと 初めて、おなかの底から 泣いて 吐き出せたね…って

つまり それは、 同じことなのだから―― 。

だからこそ、せめて TVやブログには 刻まれない現実も

此処では。 今は。 目を 背けたくない。。。

ともに おなかから 笑える 温かで 幸せな時間…

いつかは・・・って 信じてる 。

こうやって 「今」を 叫び続ける必要が なくなるくらい

早く その日が 来ることを、

ただ 一心に、 願って…… 。

==============================

◆最後まで読んでくれた皆さんへ◆

携帯からもかなり長いのに、最後まで読んでくださって

本当に 有難うございます。それだけでも充分 感謝なのに、

「朋ちゃんのURL記事 転載したよ^^」との有難い支援や、

いつも胸に迫るお言葉や励まし、本当に日々の力になっています。

今日も 凄く長い報告と訴えになってしまいましたが、来週からまた

私は、生放送の番組に 復帰しなければいけません。

もちろん、この現状をそのままに 伝えていければと思います。

今回の記事も、あくまで 「今の生の気持ち」であり、願いです。

でも「そうじゃないだろう」 という意見も 勿論たくさんあるはずです。

だって世の中は、 『 バランス 』 で出来ているのですから。

誰かが 泣くとき、誰かが笑う。 それでいいのかも知れません。。。

書いている本人も、毎晩 そこに悩んで 涙が止まらず、 本当に

永遠のスパイラルのようです。。 でも、諦めちゃいけない……。

いま、目の前で起こっている現実は、「変えられること」 なのです。

どうか、皆さんの様々な意見も、コメントやメッセージでいつでも

感じたままに 聞かせてください…。 もっとたくさん、考えたいのです。。




2011.3.27 堀井朋子





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Posted by 福岡で働くIT屋 at 07:39│Comments(2)日々雑感
この記事へのコメント
地震津波が起きてから
私たちは本当に被災者の方々や避難所の様子をもっと知りたいと思いテレビをつけたのです
しかし映っているのはごく一部の避難所とあとは原発の話ばかりです
こんな広域に災難があって十分な援助が届くわけもなく
もっと知りたいもっとどこに何が足りない
援助が一回も来ない被災地などを報道してほしかったのです
マスコミの力が本当に必要なこんな時に
経済大国と言われた日本の片隅で災害から逃れても
信じられない悲しい最期を迎えた同じ日本人がたくさんいたに違いありません
避難所で暮らす人たちも自宅で暮らしている被災者の人たちも
こんなひどい目にあった
配給の食事がこんなにいつまでもひどい内容だった
お風呂にも入れず避難所で自殺者や病死者がいた
などわがままなくらいに発信してほしい
災害があって一週間も一カ月もおにぎりとりんごと一本の水しか
届かないなんて
同じ日本人として許せません
Posted by 北陸 at 2011年04月18日 13:45
北陸さん、コメントありがとうございます。

おっしゃる通り、最近のマスコミは原発と復興のみで、まだまだ不自由な生活を強いられている方々について全く報道していません。
まるで大本営発表の様に感じてます。お上からの圧力なのか、NHKも含めて商業主義なのか。。。メディアとしての使命を完全に忘れてます。
この様な状況ですので、被災者の方々はもっと声を上げてほしいです。遠慮なんていらない、本当に困っていることをもっと知らせてほしい。そう思います。
Posted by 福岡で働くIT屋福岡で働くIT屋 at 2011年04月19日 23:31
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